優越感を手放す

剣道を始めて2ヵ月目に突入した。

水・土・日の週3回、計8時間のお稽古をひと月続けてきて、だいぶ疲れが溜まっていたらしい。今週はとにかく眠たかった。仕事の効率はすこぶる悪く、パソコンに向かいながら白昼夢を見たこと数回。老体にムチを打つとこうなるのか…。

でもひと月で得たものも大きかった。人間、優越感に溺れてしまったら終わりだな、と気づかされたのだ。優越感を抱いて他人を卑下することこそが諸悪の根源なんだ!となんかちょっとすごく大きな発見をしてしまったのである。

気づいたのなら、次にすべきは優越感を手放すこと。これはなかなか難しいので、今後一生をかけて取り組んでいくテーマになりそうだ。このままいわれのない優越感とプライドに凝り固まったあわれな老婆になるなんてまっぴらだから、変わらなければと切実に感じている。

そもそもなぜそんな「悟り」に至ったのか。

「子どもよりも大人のほうが賢い」だとか、「 学歴がスゴイ人はスゴイ人だ」だとかいう社会通念は、剣道にまったく当てはまらないことがわかったからだ。

今通っている道場で明らかに一番ヘタなのはわたし。社会人メンバーとして一番経験が浅いし、腕力もなく、運動神経もよくない。

まるでなっていない剣道ド初心者の私に対して、先生方が手取り足取り丁寧に教えていただけるのは本当にありがたいし、謙虚な気持ちになる。

だから、道場では自分が一番下なんだ、という自覚と同時に、一番よく見て、よく考えて、学び取らなければいけないんだと思うようにした。

自分が一番下、と再認識することで、どれだけ心がラクになったか!!

わたしが果たすべき責任は自分を超えていくこと。他人と比べてうまくなることでも、他人の弱点の粗探しをして自分を優位に立たせることでもない。

そうやって「優越感」という色眼鏡で改めて社会を見渡してみると、この優越感が肥大してトラブルになる例が山のようにある。

いじめ…虐待…戦争…差別…奴隷制…植民地化…暴力…詐欺…うらぎり…不倫……、すべては相手を自分よりも下だと蔑んでいるからこそ行える行為なのではないか。

わたしは剣道を学ぶことでまっさらな人間に戻れた。おかしなプライドはぜんぶ捨ててしまえと思いつつ、まだ全部手放せていないけど、今気づけて本当によかったと思っている。

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剣道はこわい

昨日は娘の運動会があったため、剣道のお稽古をやむなく欠席。

今日はお稽古だ~ うれしいな~~♪ とわくわくしながら稽古場に向かうも、なんと!そのあとさらにうれしい出来事が待ち受けていた。

なんとなんと、初めて先生からお褒めの言葉をいただいたのだっ!!

すり足の基礎練習中に「おおっ!」と先生が驚いてくださって、「格段に上達した」とのうれしいお言葉をいただいた。照れくさいやらうれしいやらで、気分が舞い上がってしまった。

実は、毎日ちびちびと家で素振りとすり足の練習を重ねていたのだ。仕事の合間をぬって、本当にちびちびとではあるのだが。素振りの数はそんなにこなしていないが、左手薬指のつけ根のあたりにマメらしきものができて、ちょっとだけ皮がむけたりも。

↑↑(この手相、どなたかリーディングしてください~ 笑)↑↑

主に在宅で書く仕事をしているので(ノマドワークにも憧れるけど出費がかさむ…)どうしても煮詰まる時がある。机の脇には常に竹刀袋を立てかけてあり、集中できなかったり、どうしても文章が書けないときなどにはシュッと竹刀を一振り取り出して、しばらく三挙動や前進後退面を繰りかえす。夜には正面の窓が鏡替わりになるので、竹刀を振りかざした時の角度をチェックできて便利だ。深夜ひとりで竹刀を振っている人なんて、傍から見たらかな~りアブナイのだが。

それはさておき、毎日ちょっとだけ素振りの練習をしているだけでもキレが違ってくるのはなんとなく体でもわかる。あと、素振りをしていると腕力のみならず体幹も鍛えられている実感がある。

そして、それにちゃんと気づいてくださる先生の行き届いたご指導に、本当に感謝しかない。そうやってお声がけをいただくことで、どれだけ励みになるか。

本日の稽古の後半は、防具組の練習試合を立て続けに10本。竹刀組は応援に専念した。審判の「はじめ!」の合図で拍手、「勝負あり!」の声でまた拍手。選手がいい動きをすると、拍手とともに「ファイトー!」、「がんばれ!」の声が自然と飛び交う。仲間同士で励まし合える、すばらしいチーム。

試合稽古のあとに先生がおっしゃった言葉がとても重く響いた。

「剣道は、こわい。」

これは、ひそかに私が恐れていることだ。今は竹刀を振ってさえいればいいのだが、そのうち(もし)上達したら、まずは道着と袴を着け、それから防具を着けて、いずれは面を着けて戦うことになる。

相手に打ち込まれた時、痛いだろうか。わたしはひるんでしまわないだろうか。

「剣道はこわい」とひそかに思っていたことが、実はみんな感じているのだと先生から教わった。そのこわさにひるまず、打ち込んでいかなければならない。そして、そのこわさの先に、何かしら自分についての発見があるのだそうだ。

昇級試験はいつになるか、まだ知らされてはいない。あえて知らないままでいいとも思っている。焦らず、自分のペースで、じりじりと昇級していずれは防具組の仲間入りをしたときに、どんな発見があるのか待ち遠しい。でも、とりあえず今は素振りとすり足の練習に励むのみだ。

剣道のダイエット効果?

先日、半年ぶりぐらいに会った人が開口一番に「痩せた!?」と言ってきた。

いや、そんなはずは…と思いながら体重計に乗るも、やはりあまり変わらず。むしろ、1kgぐらい体重増加しているではないかっ。

でもそういえばお腹まわりが少しだけ縮んだような気も。ためしに腕で力こぶを作ってみると、んん、なんだか筋肉がついたような…?

というわけで、正確には「締まった」のかも!

何事もそうだけど、剣道は初心が肝心。だからまずは中段の構えを特に意識して自主練しているのだが、左脚ふくらはぎを常にピーンと張っているうちに、いつの間にやら筋肉がついた。腕と肩もちょっとだけ筋肉マシマシされている。あと、丹田を意識しながら三挙動の練習にはげむことで、腹筋が鍛えられるような気がする(が、まだ効果はさほど出ていない)。

さて、昨日のお稽古では、すでに苦手意識を持ってしまっている打ち込みを重点的に教わった。

右足を高く上げることにとらわれすぎていて、前に跳躍できない。威力が伴わない昇龍拳のようで、無様。上ではない、前へ!…と脳内で焦っても、体がついていかない。このおかしなクセは一体どこからきているんだろうか。

小学生低学年の竹刀組に混ざってひとり無様な大人が「昇龍拳ッ!!」さながら空虚に舞っている姿は悲しいけど、とにかく体を動かしてヒントをつかむしか改善の余地はない。

さらに、なんと基本中の基本であるはずの竹刀の握り方もよろしくないとのお達しをいただいた…。なにが「 剣道は初心が肝心」だ、と自分でツッコミを入れたくなる。

今日、残心についても教えていただいた。先生いわく、 試合で相手に面・コテ・胴のいずれかを一本当てても、ちゃんとそのまま駆け抜ける、あるいは後退して相手から体を離したところで、しっかりと切っ先を相手のノドに向けて反撃に備えるまでが「技」なのだと聞いて、深く納得した。

斬るか斬られるかの戦いにおいては、一瞬たりともスキを見せてはいけなかった。その精神は太平の世となった現代においてもなお「残心」という剣道の技に生き続けている。

すばらしい仲間たち

お稽古に行ったら必ずブログ日記をつける、というマイルールを早くも破ってしまった剣道3週目。

9月22日(日)のお稽古で先生に教わったこと。

その① 猫背のクセがあり、前のめりになりがち。→対処法:両肩をピーンと張って鎖骨を前に押し出して、意識的に背筋を伸ばす。そうすることで竹刀を振りかざすときに両腕のひじが前に向くことを発見。また、背筋を伸ばすと重心の位置が変わって、左足のかかとを浮かせるのがラクになる!全部つながっているんだなぁ。

その② 左足つま先が外に向いてしまいがち。体が開いてしまう。→対処法:足ではなく、腰を右に向ける。そうするとおのずと左足もまっすぐになる。実際にやってみて、なるほど!!!と納得。今日一番の収穫かも。

9月初旬に剣道を習い始めた頃は、やることなすことすべてが初めてで極度に緊張し、お稽古後にものすごい疲労感を感じていた。最近では体が慣れてきて、気持ちにも余裕がでてきた。 お稽古が楽しいとさえ感じられるようになってきている。

なにしろ、チームがすばらしい。先生方が教えてくださる内容やスタイルこそはそれぞれ特性があれど、丁寧で熱心な姿勢には普遍性が貫かれている。それは教える相手が生徒が小学生であれ成人であれ変わらない。

明るくて素直な子どもたち、そして愛情深い保護者のみなさん。それぞれ率先して善いことを行う「エクセレントな人々 」 の集まりの中で、仲間の善いところを見て「私もああいう風になりたい」と思えるからこそ、お互いを高め合っていけている。尊敬できる仲間がいるって、なんてすばらしいんだろう。それがあるからこそ、次のお稽古が楽しみになる。

自分の弱さと向き合う

とんだヘマをして稽古日を間違えた。

通常は水・土・日にお稽古をしているのだが、地元の小学校の体育館を使わせてもらっている関係で、学校の行事に合わせてときどき休みになる。今日(9月21日)もそんな日だったのに、娘を急かして重たい防具を背負わせつつ、お稽古に出向いてしまった……。はははやとちり。

というわけで、本日は読書で剣道について学ぶとしよう。

少し前にアマゾンで購入しておいた『剣道を知る事典』。平日はなかなか読む時間がないので、今日こそはたっぷり堪能しようと思って手に取ったのだが…

…ひとつひとつの項目がディープすぎて、到底さらっとなんて読めない。

稽古について、残心について、気になる項目をチェックしていき、最後に行きついたのが「なぜ剣道というのか?」という見出し。竹刀や木刀などの「刀」を使う戦う武術なのに、なぜ「剣」道なのか、あらためて考えてみると不思議だ。

そもそも剣と刀の違いすらわかっていなかったのだが、「刀」は片刃、「剣」は両刃なのだそうだ。さらに、「剣」には古くから神聖なものとして崇められてきており、精神的な要素が汲み取れる。

現代社会における剣道は、人を叩くことが目的ではなく、人を活かし自らを律するものでなくてはならない

剣道を知る事典 第8章 「なぜ剣道というのか?」(179頁)

さらに、

持つのは日本刀であり片刃の刀であるが、気持ちとしては両刃の剣である。片方の刃は敵に向き、もう片方の刃は自らに向いている。

剣道を知る事典 第8章 「なぜ剣道というのか?」(179頁)

この言葉に衝撃を受けた。

自分の弱さと向き合い、そして克服するためには剣を己に向けることが必要なのだ。自分の弱いところはなるべく認めたくなかった20代までの奔放。30代のがむしゃら。そして今、40代の人生折り返し地点。

いつ死ぬかわからないけど、いつ死んでもいいと心の底から思いたいから剣道を習い始めた。自分の生き方にブレたくない。いろいろ心配しすぎたくない。ちょっとやそっとでは動じなくなりたいから、自らに剣を向ける。

もうカッコつけて生きるのはやめようと思った。

「お母さん、勝負しようね」

本日もお稽古。

水曜日のお稽古に参加している社会人のうち、ずぶの素人は通常わたしひとり。ひょっとしたら先生方に必要以上に指導のご苦労とお手間をおかけしているんではないかとひそかに心配している。

そんな状況にもかかわらず、必ずどなたかの丁寧な、ほとんどマンツーマンの指導を賜っている。平日の夕方にふらふらしていられるフリーランスライターの身分が、これほどありがたく思える時はない。

防具組と竹刀組とに分かれ、それぞれ別メニューで稽古を積む。防具組のほうは、11月末・12月初旬に控えているトーナメント大会出場に向けての選抜が始まった。もっぱら練習試合を多く勝ち抜いた者が選抜チームに選ばれることになっているので、これまでの和気あいあいとした雰囲気のお稽古から一変して緊張感がみなぎっている。

竹刀組はというと、ひたすら基本のすり足・素振り・三挙動(面・こて・銅)、そして打ち込み。

簡単にみえるけど、やってみないことにはむずかしさが分からない。というか、やってみればみるほどにあれこれ考えて頭でっかちになり、体がついていかなくて自意識過剰なデキソコナイになってしまう。

剣道には、性格が出るんだなぁとつくづく思う。わたしの場合は、頭でっかち、自意識過剰、そしてとことんスローペース。

踏み込みを何度か繰り返したら、左脚のつけ根をつってしまった。あああぁぁ、体中のいろんなところにガタがきている……。これでも半年前からホットヨガに通い、それなりに体を鍛えてきたつもりだったのだが….。やっぱり自分が思っている以上に体力と筋力が低下している。

ちなみに娘は今のところ同じ竹刀組で練習中なのだが、もう面をつけてもよいとの先生のお達しをいただいているので、近々防具組のバトルの中に身を投じることになるだろう。剣道を始めて6か月ちょうどになるので、順調なペースで進んでいるようだ。

そんな娘と話していたのが、毎年6月に市の剣道連盟主催で行われる「婦人と子供の剣道大会 」。種目は基本試合のほか、親と子供の試合も行われる。去年は同じ剣友会所属の親子チーム(パパと息子)がすがすがしい戦いぶりを披露していた。もしかしたら、来年は娘とわたしで一戦を交える機会があるかも…?

「お母さん、勝負しようね」。娘はさらっと言い放ち、ニヤリと余裕の笑みを浮かべた。むむ、簡単には負けられないぞ。

本日習った言葉

気剣体、または気剣体一致

これを心がけて練習を積んでいるのは、なにも素人だけではない。有段者でもう何十年も剣道の道を歩んでこられた先生方もまた、日々気剣体の一致を実現するべく素振りをしているそうだ。あくまでもストイック。そしてそれが自分の心と向き合うきっかけにもなり、日本武道のありかたを如実に現わしている。

目標を持て

剣道にも人生にも言えること。子どもたちにはそう言い聞かせてきたつもりでも、自分で実行できているのだろうか。

折に触れて自分のこれまでの生き方、考え方を省みる機会を与えてもらっている。剣道と、剣道を指導してくれる先生方、一緒に稽古してくれる仲間たちに、ものすごく感謝している。

中年の危機

当初「剣道、やってみたいかも!」と思ってから実際始めるまで、数週間にわたり悩みまくった。

軽い気持ちで始めてすぐやめるぐらいなら始めたくなかったし、そもそも体力と気力がついていけるか、なにかと慌ただしい毎日をさらに忙しくして自爆しないか不安だった。

悩んで悩みまくって、それでも思いきって剣道を始めたのは、40歳を超えて自分の「死」を意識し始めたからだと思う。

Midlife crisis(中年の危機)。この言葉がここ最近脳裏に焼きついて離れない。

新聞を読んでも、ネットでニュースを網羅しても、このところ理不尽な怒りをばらまいたとしか思えない凄惨な事件が絶えない。そしてその多くの場合、加害者が40代前半——すなわち、私とおなじ「中年の危機」に直面している世代なのだから、やりきれない気持ちでいっぱいになる。

そうなってしまう危機を私も内包している。そしてそういった個々のわだかまりを救いきれない不寛容な社会がある。私もいつ不慮の事故に巻き込まれるかもわからない。

だから私なりに悩んで出した答えは、「いつでも死ねるように準備をすること」。

自分の生き方に責任を持ち、いつ死んでもいいように心の準備をしておく。逆に言えば、今ある命をありがたく思い、悔いのないように正直に生きていくことへの決意だ。

なぜ「いつでも死ねる覚悟を決める」から「剣道を始める」に飛躍したのか。子どもの付き添いで令和元年度の全日本少年少女武道(剣道)錬成大会に参加した時に受けた衝撃が、たぶん原点だった。

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日本武道館を埋め尽くす少年少女剣士の姿に圧倒された。これだけ多くの子どもたちが日々一生懸命練習に励んで鎬を削っている。いままで考えてもみなかったことだった。

きゅうくつな日本社会で、ふだんは子どもらしい大声も出せずに、子どもらしい悪ふざけも容認されずに縮こまっている子どもたちが、この日だけは武道館の空気をビリビリと振動させるほどの気合いに満ちた大声を放っている。すごく感動した。

感動もしたし、違和感も覚えた。

剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である

『剣道の理念』©財団法人全日本剣道連盟

剣道とは、言ってみれば元は人殺しの技。それを子どもたちが学んでいることにも違和感を覚えたし、それがなぜ「人間形成の道」なのだろう?

その時はわからなかったけれど、その逆だったのだ。人を殺すということは、自分も死ぬということ。すなわち、自分がいつ死んでもいいように、恥のない生き方をする、ということなのだと思う。

これはすべてあくまで個人的な解釈なのだけど、とにかく私は剣道のそういうところに惚れたのだ。

剣道を正しく真剣に学び

心身を錬磨して旺盛なる気力を養い

剣道の特性を通じて礼節をとうとび

信義を重んじ誠を尽して

常に自己の修養に努め

以って国家社会を愛して

広く人類の平和繁栄に

寄与せんとするものである

『剣道修錬の心構え』©財団法人全日本剣道連盟

この心構えを剣道だけでなく、自分の生き方に反映できたら素晴らしいのにと思う。